18歳のわたしからあの時のわたしへ

誕生日前日に書いたメモから。

 

こんちわ。今日は誕生日前日なので18歳最後の日です。18って歳は特別だなってずっと思ってきたから終わるの悲しいです、想像してた18歳の危うさとかエロさとか実現できなかったな、ぴえんってことにしときます。19歳ってもうほぼ大人だよね。

今はバイトをしています。

ハーフタイムで1日5時間、一日働いたら次の日は必ず休みと言う週3日のなんともナメた働き方をしてます、すいません。でもこのままじゃ動かないとおもたんで、こうしたまでです。行動した自分に乾杯だと思います。

少しづつですが動けるようになってきました。当たり前のことが私にとって当たり前でなかったころから少しづつだけど取り戻してっています。

依然として疲れやすいけれど朝は起きれるようになりましたし夜もまあまあ眠れるようになりました。今考えれば普通や当たり前なんてほんとうはないんですが(最近それをひしひしと感じています)

きんきんの近況を言うと推そうとしていたアイドルが活休を発表し毎日思い出しては心が死んでいるところです。あとセンタータン開けました。

 


私にとってオタクは大きな事ですがオタク人生について話すとまた長くなるのでここではわたしのことについて話そうと思います。

 

わたしがいちばん苦しかった時期は2年前の17歳の頃だと思います。ちょうど2年前の誕生日前日の夜も17歳を家で迎えたくなくて駅のホームで迎えました。

母親が毒親だという事に17年間生きてきて初めて知りました。自分の汚さ、自分という存在についてよく考えるようになりました。ずっと自分を責めていたと思います。

脳というのは上手くできているものでお母さんの記憶は断片的にしか出てこなくなってしまいました。もし記憶が間違ってたらなあ なんて考えて完全に否定できないところもあります。でもお母さんという存在を引き止める記憶として何かを買ってもらったからとか、何処かに連れて行ってもらったから、というものばかりがはじめにでてきてしまった事実に悲しくなりました。

私の生きづらさはきっと幼少期から育まれた愛着にあったと思うし、本当は自分をそんなに責めなくて良かった。

靖子ちゃんの曲を聞いていて知ったことはそのままの私で、あなたで愛されるべき存在だ。ということでした。これを知ってから私を責める武器の威力が小さくなった気がするなあ。

何回も何回も自分のうなじあたりをカッターで刺して殺した感覚があります。責めるのも癖になってしまって、責めている事にも気づかなかったり。

 

その次は強迫性障害に悩まされました。昔からその気がある感じはしていましたが、この時期に悪化しました。

いちばん辛い(大元の問題が起こった時)時期の後に発症したので、もうあの件は終わったのにこんなになってはいけないというプレッシャーもあったと思います。

どこに行ってもどこにいたとしても「行動する」という事一つ一つに、強迫観念がついているので心が休まりませんでした。当時は強迫観念は主に母親のことが多くて、なので母親と離れたにも関わらず思い出させられることが苦痛でした。いなくてもいる、やっと逃げられたのにやっぱり追い回されるんだ、呪いだ、と思いました。

授業中ノートを取ることもままならなくて、他の人は殺したくないから(出てくる強迫観念。〇〇をしたら誰々が死ぬ、誰々がどうなる、脳内に母親が出て来る、など。)自分を何回も何回も殺しながら一文字一文字死にそうになりながら書いたことを思い出します。誰かが死ぬんだったら私が死ぬからお願いだから殺さないで、って思ってました。

本当にやばかったですが病院に行く一歩は踏み出せず、その気力もなく、なんとか今日まで自力で少しづつ症状を薄めていきました。何をやったとかは覚えてないですがきっと生活を少しづつ取り戻して安全な場所を作って行ったこと、プレッシャーやストレスを避けた場所に逃げたことがあると思います。本当に頑張りました。

今日18歳の私が、自分を諦めたくないと思ったりかっこよくなりたいと思ったりやりたいことがあると思ったりするようになりました。

完璧を追い求める私はまだ全然じゃんって言ってくると思うけどそれは世間から評価される多数決の表面上でしか見られない私です。

人ってそんなに簡単に変われないと思います。ゲームみたいに今いるマスからボーナスみたいに先のマスに目の前のマスを通らずにワープできる機能はありません。一歩づつ進めていくしかないと思っています。そこに人それぞれスピードや運が関わってくることはあります、そこで人と比べて苦しくなったりするんだけども。

人生イージーモードも沈んでる時は求めちゃうけれどハードモードで生きてきた私は知っていることも持っているものもいっぱいあります。傷の暖かさを知りました、人のこと私のこといっぱい考えて嫌にもなったし嬉しくもなりました。

 

あの頃の私と今の私は根っこは変わってません。成長をしました、強くなりました。

裸の部分はそのまんまだけどその中の具材とか武器とか持ったり、まっさらだった裸を試行錯誤して色をつけて傷をつけてわたしをこれからも生きているところです。

わたしを作っている途中、というのは完成形や理想像がある事になってきてそれは今違うなと思うので生きているところ、という表現を選びました。じわじわわたしを色んなところで落としていきたいしもっとレベルアップしていきたいんだよなあ。

辛かった時期の私のことを思い出話みたいに語ったり今だからこう思えるわ、、あの頃は辛かったけども、、みたいなまとめてひとくくりみたいな美談にするつもりはありません。あの時あったことは事実です。ひとつひとつがちゃんと自分があの時生きていた証拠だなと思えます。

辛かったし嫌だったし気持ち悪かったし怖かったし死にたかった。考え続けてくれて悩み続けてくれてありがとう。自分についてここまで悩んで考えてくれたことを肯定したいです。今の私はここまでのこと全部抱きしめてこれから先に持っていきたいです。